ミラノマルペンサ空港着の便で行くことが多いこともあり、何気に4回中4回訪れているミラノ。
都会的な街並みの中で圧倒的な存在感を放つドゥオモやガレリアが有名です。
歴史的な建造物を散策して回るのも楽しいし、流行の最先端を行くハイブランドストリートではウインドウショッピングが楽しめるし、どこもかしこも“映えスポット”だったりして、ミラノは老若男女が楽しめる観光地だったりします。
これからミラノに行く人のために、これまで撮影してきた写真をフルに使ってミラノの風景をご紹介します!
このブログでは、
- ドゥオモ
- ヴィットリオエマヌエーレ2世のガレリア
- スカラ座
- サンタマリアデッレグラツィエ教会
- 最後の晩餐
- ダヴィンチ像
- モンテナポレオーネ通り
などを中心にご紹介します!
もくじ
完成まで500年を要したドゥオモ
外から見るだけでも充分に満足感のあるドゥオモ。
1386年に着工し、完成まで500年を要した巨大歴史的建造物です。
- 奥行き158メートル
- 幅93メートル
- 高さ108.5メートル
大聖堂内では4万人もの人がミサを受けることができるんだとか。
ドゥオモには135本の尖塔があって、尖塔の先には一つ一つに聖人が立っています。
一番高い位置には金のマリア像が輝いていて、昔はこのマリア像より高い位置に建物を建ててはいけなかったのだそう。
さらに側面には3000を超える装飾彫刻体の姿が。
ドゥオモについてより詳しく
ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガレリア
ドゥオモとスカラ広場を結ぶヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガレリア。
美しく巨大な十字型のアーケードでおしゃれなカフェやレストラン、高級ブランド店が並びます。
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア
イタリアの都市ミラノにあるアーケードの名称。
2つのアーケードに覆われ、ドゥオーモ広場の北に位置し、スカラ広場へ通じている。
イタリア王国の初代国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世にちなんで名づけられたこの場所は1861年にデザインされ、イタリアの建築家ジュゼッペ・メンゴーニによって1865年から1877年の間に建設された。
通りはガラスのアーチと鉄製の屋根に覆われており、19世紀のショッピングモール及びイギリス、ロンドンにあるバーリントン・アーケードのような通俗的なアーケードのデザインである。
ガッレリアはベルギーのブリュッセルにあるギャラリー・サン・チュベール(1847年公開)やロシア・サンクトペテルブルクにあるパッサージュ(1848年公開)、ナポリのウンベルト1世のガッレリア(1890年公開)等から始まった巨大なガラス張りのショッピング・アーケードの原型であった。
スカラ広場側から/南側
ドゥオモ広場側から/北側
東側から
12年をかけて完成
PRADA本店
牡牛のおまじない
ガレリア中央のドーム下にある『牡牛のモザイク画』にはいつも人だかりができています。
そこに集まっている人たちの目的は“おまじない”
この牡牛の“お股”にかかとを合わせて1回転(3回転説も)すると幸せが訪れると言われています。
スカラ広場
ドゥオモ広場からガレリアを抜けたところに広がるのが『スカラ広場』です。
中央にはダヴィンチ像、その周囲にはスカラ座やマリーノ宮などアーティスティックな光景が広がっています。
スカラ座
営業時間
- 9時〜17時30分
- 最終入場17時
博物館見学チケット料金
- 一般9ユーロ
- 12歳以下無料
- 3ユーロ追加でVR体験も
休館日についてはスカラ座博物館公式HPにてご確認ください。
世界的なオペラの殿堂・スカラ座。
1776年着工
1778年完成
第二次世界大戦で焼失するも設計図を元に復元。
内部には博物館もあって衣装や劇場内部を見学することができます。
マリーノ宮市庁舎
左側に見える建物がマリーノ宮市庁舎。
1500年代中頃にジェノバ出身の銀行家であるトマーゾ・マリーノが、建築家ガレアッツォ・アレッシに依頼して建設したマリーノ宮。
現在は実際に市庁舎として使われています。
同じく歴史的建造物が市庁舎として使われているフィレンツェのヴェッキオ宮殿しかり、歴史的な職場でお仕事できる職員さんたちが羨ましい限りです。
マンゾーニ通り
スカラ広場の前はマンゾーニ通り。
アレッサンドロ・マンゾーニさんはイタリアでは超有名な詩人・作家で、一時期はイタリアのリラ紙幣に肖像が採用されていたことも。
ミラノ出身ということでマンゾーニの家は現存していて、今は博物館として開放されています。
実際にマンゾーニが使っていた書斎などが残されているんだとか。
レオナルド・ダ・ヴィンチ像
スカラ広場の中央にあるのがピエトロ・マーニ作のレオナルド・ダ・ヴィンチ像。
1482年にミラノへやってきたダ・ヴィンチは、当時ミラノを支配していたスフォルツァ家に招かれて1499年まで滞在します。
ダヴィンチの『最後の晩餐』が眠る教会
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会
サンタマリアデッレグラツィエ教会
1296年、アルノルフォ・デ・カンピオの設計により大聖堂を取り壊して着工し、ジョット、フランチェスコ・タランティらが造営主任をつとめる。
以降、ミラノ公フランチェスコ・スフォルツァがドミニコ修道院と教会の建設を指示し、建築家ソラーリによって長い年月をかけ1469年に完成した。
教会のアプスは1492年以降、ドナト・ブラマンテにより改築されたものとされる。(明白な証拠はない、という指摘もある)
当時ブラマンテはミラノに居住しており、教会の歴史書のなかにも一度登場している。
レオナルドと8歳年上のブラマンテは同時期にミラノに滞在していた。
レオナルドの手記にも理想の教会堂のスケッチが残されており、両者の交流があったことが考えられる。
教会は第二次世界大戦中に連合軍の空襲を受け大きな被害を受けた。
『最後の晩餐』の前には土嚢が積み上げてあったため、かろうじて被害を免れたという。
世界遺産に登録
場所
予約制
『最後の晩餐』の見学は予約制で、絵がある部屋には25人ずつしか入れず、しかも15分しかいられません。
世界中の人が見たいと思っているので自分が行くタイミングで予約できるかは“運”。
ツアー申し込みの時に“予約が取れない可能性アリ”と言われていましたが見られてラッキーでした。
『最後の晩餐』は食堂に
ここでダ・ヴィンチの『最後の晩餐』を見ることができます。
教会内の食堂に描かれた壁画はダ・ヴィンチが43歳(1495年)の時に制作に着手し、3年をかけて完成させたもの。
第二次世界大戦の激しい爆撃を免れ、およそ500年も前に描かれたものが目の前にある不思議。
ダ・ヴィンチが立っていたであろう場所に自分が立ち、絵を俯瞰する。
神秘的なひとときでした。
最後の晩餐はキリストが弟子の裏切りを予言した直後の瞬間を描いたもの。
そこを切り取るセンスと描き上げる技術が流石です。
『最後の晩餐』について
教会に入る時の服装について
あまりに暑かったので薄着移動。
教会に入る時用のシャツはちゃんと持っていきましたよ。
教会などに入る場合は女性は肩を出さないこととスカート・ホットパンツを避ければ大丈夫だと思います。
聖なる場所に入らせていただくわけなのでカジュアルすぎたり肌の露出が多い格好は避けたコーディネイトで出かけましょう。
高級ブランド街・モンテナポレオーネ通り
流行最先端のハイブランドストリート
ミラノ中央駅から地下鉄に乗って3駅先にあるモンテナポレオーネ通り。
写真中央の奥に伸びていく道がモンテナポレオーネ通りです。
ドゥオモからは歩いても行ける距離です。
日本でいうと『銀座』
この一帯には名だたるブランド店が並びます。
ないブランドはないくらいです。
それぞれの店の入口には“いかついセキュリティ”がいて、ドアを開けてくれることもあれば、TPOにそぐわない格好をしていたり店にふさわしくない客だと判断されてしまった時には店に入れてもらえないことも。
街行くミラネーゼたちはめちゃくちゃオシャレだし、絵になりすぎる老夫婦もたくさん見かけたし、超高級車がバンバン通るし、格式高すぎるオーラが出まくりで常に恐縮してしまうような界隈でした(笑)
バイオリン奏者たちのストリートライブ
絵になりすぎる路地
街行く人皆ハイセンス
高級時計専門店『PISA』
GoogleMap
モノは最新・価格は相応
この場所では、友人・知人に頼まれてたものをお買いもの。
イブサンローラン、ステラマッカートニーなどで無事に商品をゲットすることができました。
あらかじめ送っておいてもらった希望商品の写真を店のスタッフに見せた時に「それはオールドシーズンだ」と言われることが多かったです。
『前のシーズンのものだからもうない』と言うんです。
さすがファッション最先端の街。
ミラノにあるショップの商品価格は相応です。
そのかわりモノは揃ってます。
日本未入荷のものを見つけることができるかもしれません。
お得なショッピングを楽しみたければフィレンツェのアウトレット、最先端のものをゲットしたいのであればミラノという感じでしょうか。
[…] […]
[…] […]
[…] […]
[…] […]
[…] […]
[…] […]
[…] […]
[…] […]
[…] […]
[…] […]
[…] […]
[…] […]
[…] […]
[…] →ヴィットリオエマヌエーレ2世のガレリア詳細 […]
[…] ドゥオモ広場とスカラ広場を繋ぐヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガレリアにて。石造りの建築の上に乗せられたガラス屋根がとても美しい場所です。中央のドーム下には牡牛のモザイ […]